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2011年12月の記事

2011年12月27日 (火)

映画 『山本五十六』

Save0310 原作・「聯合艦隊指令長官 山本五十六」 半藤一利
監修 半藤一利
監   督 成島 出 
特別監督 佛田 洋
特別協力 山本義正(五十六氏長男)

真珠湾攻撃によって太平洋戦争の火ぶたを切って落とした戦略家であると同時に、誰よりも開戦に反対する立場を主張した山本五十六の半生を描いたドラマ。

戦争スペクタクルやメッセージ性の強い反戦映画とは一線を画している。
実話ではあるが映画であるからエンターテインメント性が加味されている。 

昭和14年の夏。2年前に始まった支那事変が泥沼化しつつあった。
陸軍が日独伊三国軍事同盟の締結を強く主張する中、海軍次官の山本五十六、海軍大臣の米内光正、事務局長の井上成美は、信念(自由、合理主義の良識派として海軍三羽烏とよばれた) を曲げる事なく同盟に反対の立場をとり続けていた。

日本がドイツと結べば、何倍もの国力を持つアメリカと戦争になる。それだけは何として避けなければならないと考えていた。
だが世界情勢は急転、第二次世界大戦が勃発してしまう。米国との戦争が避けられないと判断した日本は真珠湾攻撃の直前に米国に宣戦布告を行い、ハワイに集結している米軍の機動部隊を先制攻撃で叩くシナリオを実行。
結果的にワシントンで米国政府に宣戦布告の親書が渡ったのは攻撃の1時間後だった。
そのため「日本軍によるだまし討ち、テロだった」という汚点を残した。
また不幸なことにアメリカ軍太平洋艦隊の空母郡は真珠湾に停泊していなかった。
私には奇襲ということが理解できないでいたが、宣戦布告が手違いで間に合わなかったということは私の胸の中で少しは救いとなった。

真珠湾攻撃からすぐミッドウエー攻略を展開するがこの頃にはアメリカ軍は暗号解読に成功しており大敗する。ガダルカナルで戦い、司令部はラバウルに進出する。
長官は昭和18年4月18日ラバウル基地から部下の制止をことわり前線視察に出発、ブーゲンビル島の上空でアメリカの戦闘機の銃撃により即死した。

映画とは関係ないが、山本提督は1919~1923年、ハーバード大学に学び1925~1928年駐米日本大使館付となり知米派とみられていたが、米国側からみれば、親交を深めていたスパイであり先制テロ攻撃の首謀者という見方である。(鳥飼研究室WEBによると)

                           
珍しく同伴で出かけた。一人で出かける心算であったが、お昼の用意がなく一緒に行き「壁の穴」でランチをとり映画を観ることが出来ると算段した。
じいさんの終わって出てきての一声は「音が大きくてかなわん、それに椅子に固定されて座るのもラクじゃない」。 とはいうものの「役所広司の山本五十六はよかった」という。私も好演だったと思う。

以前阿川弘之著「井上成美」を読んだことがあり、井上は退官後横須賀長井の山中に隠棲し、英語を教えていて、清貧な暮らしであったことを知ったが、この映画を観て「井上成美」と「山本五十六」がつながった。

                          

                                

     

2011年12月19日 (月)

ついて行く東京

Save0307 娘について東京へ。16日(金)午後羽田。その足で六本木ヒルズのクリスマス・イルミを見に行く。
カメラのMODEは変えないで、ただシャッターを切るだけなので悲惨な写真です。
   遠くのタワーはスカイ・ツリー。

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渋谷マークシティーの渋谷エクセルホテル東急に荷物を置き、下の階のツバメグリルで夕食。この宿は非常に便利。とくに下北沢の孫のところへ通うのに便利この上ない。娘がお気に入りのわけ。階下に下りれば京王井の頭線にすぐ乗れる。

Tokyo_0151_2 夜の渋谷駅前を上から。
中央の丸いビルは109。

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6:54AM。
20階の部屋から新宿方面をみる。森は明治神宮。代々木体育館。
その向こうは新宿超高層ビル群。一番右のビルはNTTドコモ代々木ビル。

下北沢へ。まず部屋の掃除、整理整頓、洗濯に精をだす娘。くるくるよく働くよ。 「自己満足」というけれど。 わたしもちっとは手伝うけどね・・・・。
そうそうにして、横浜で長女と会う約束がある。土曜日のため東横線も混み横浜駅も大混雑。ベイ・クオーターでひさしぶり3人で食事。


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3人でぶらぶらショッピングしているとすぐ時間が経ってしまう。3時に約束があり渋谷にとんぼ返り。疲れてしまい大学の見学は取りやめにしてベッドで横になる。
yochanが帰るのを待って3人で東京メトロ銀座線、赤坂見付へ。赤坂といえば社用族の接待の街だというだけに綺麗な繁華街です。
というのもがTV
番組で2回も紹介した焼肉の店やさい村大地へ予約が取ってあった。
そこでもう一人増えるというサプライズが!!
ビールを飲みお肉と山のような野菜(これがウリ)を前にして4人でおしゃべりが弾み楽しかった。

日曜日は朝ゆっくり目にホテルを出て下北沢。パソコンラックの組み立てが不完全なので2人で悪戦苦闘して何とか使えるようにする。。娘は気にかかっていたことが解決してほっとする。そごうで買ってきたバスタオルとハンドタオルを架けかえて、古いほうを小さく切り使い捨て雑巾にする。
部屋の整理がついたので今度は買出しについていく。野菜をレンジでチンすればいいだけにすること1週間分。切干大根の煮物まで作ってしまったよ。 
ごくろうさまでした。
とりあえずは、し残したことはないね?布団のカバーもネルに取り替えたしね。心置きなく熊本へ帰れるよね。
疲れがでないよう祈ります。

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江津湖の秋

ツレが散歩のおり、撮ってきたもの。

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Masao_072_2 宮本ボートの猫
 ポケットにえさを入れて
 出かける。
 猫に会うのも楽しみらしい。

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Masao_0181 向こうの山は金峰山

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Masao_074 江津湖畔も新しい家が建ったり、料理旅館、喫茶店ができ、来熊した当時から様変わりしてきた。

2011年12月15日 (木)

きょうの夕焼け (2011/11/20)

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                           2011/11/20    17:09

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2011年12月 9日 (金)

映画 『エンディングノート』

Save0306_2  砂田麻美:第一回監督作品
製作・プロデューサー:是枝祐和

69歳になる麻田知昭氏は会社を引退して2年後の2009年の夏。
毎年欠かさず受けていた検診でガンが発見されたが、その時既に手術が不可能なステージ4であった。
告知後、最初に取り組んだのはエンディング・ノートと呼ばれるマニュアル(家族への覚書)つくり。
「段取り命」で高度経済成長を駆け抜けた元熱血営業マンを、段取りを間違えて生んでしまった(長男、長女と)ずっと年の離れた次女、麻美さんが撮り続けた家族の膨大な映像記録から編集された。
娘が父の口上をナレーションする。
エンディング・ノートとして特に変わっているわけではないと思う。
他の人であってもこれぐらいの事柄はするでしょう。
ただ、このおとうさんのユーモア溢れた人柄とあたたかい家族のやりとりは暗くなるテーマを少しはやわらげてくれる。
   To Do List
          to do 1 神父を訪ねる
       to do 2 気合を入れて孫と遊ぶ
          to do 3 自民党以外に投票してみる
          to do 4 葬式をシミュレーション
          to do 5 最後の家族旅行
          to do 6 式場の下見をする
          to do 7 洗礼を受ける
          to do 8 長男に引継ぎ
          to do 9 妻に(初めて)愛しているという
          to do 10 エンディング・ノート

麻美さんは幼少の頃から家族や友人にカメラを向け、大学在学中よりドキュメンタリーを学んだという。卒業後はフリーの監督助手として是枝祐和らの映画製作に従事した。
麻田氏とご家族が死を受け入れていく様は悲しみにくれてばかりいるわけではなく淡々と日々が過ぎていく。特に奥様にとっては衝撃であると思うがその表情がスクリーン上には現れないだけに思いを馳せる。
現役の頃の恰幅のよい麻田氏も日を追って闘病の疲れが出てくるのは切ないが、同時に表情も優しくなられる。
ただ、このご家族にとってプライバシーが白日の下にさらされるだけに、どのように折り合い、それを決断されたのか大いに興味があるところです。
麻美さんは映像作家(監督)を目指しておられるようだから、お父さんが次女への応援歌として、ひとはだ脱がれたんじゃなかろうかなんて想像してしまうのですが・・・・・。

このような終末の迎え方を出来る人はそう多くは無いと思う。
残された日を思い、ただ悲嘆にくれていないで、忙しくして生きるのも救いかも知れないと思う。

2,3年前「エンディングノートを」というすすめが流行り自分もなるべく簡易なものを買いもとめた。ページを開いてさて記入する段になり、面倒になり書き込む気が薄れた。切羽つまらないと駄目なようである。
しかしいずれ()子供達が困らないように書き残さなければならないでしょう。本気で。

2011年12月 4日 (日)

みちすがら・・・・・

国際交流会館への用で市役所前でバスを降りて長塀通りにそって歩きました。

市役所前の清正公。

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お城の長塀   楠(?)の黄葉

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